2011/08/26

架空の町 美濃





今、私のFACEBOOKで美濃の町を作っている

そこへたくさんの人がやってきて、それぞれの写真が会議室のようだ。

これは長良川に沿ったブックカフェ。

もちろん今はこんな場は、この町にない。

もとは町の人の、こんな場所がほしい、という意見から

こんな絵を描き、

そこへたくさんの人がメッセージを書き込んで

会議室のようになっている。

そんな写真=会議室が100も出来ている。

そうした活動全体を

i.Labo in Good Design Expo 2011

に展示している。






美濃の町



大正時代の画家、吉田初三郎が描いた美濃の鳥瞰図。
今もあまり変わっていない。
私の主宰しているi.Laboというフォーラムが
岐阜県がらみでこの町の町づくりを依頼された。
そこでうちの大学のプロジェクトとして
「美濃プロジェクト」を立ち上げ進めている。

今、東京ビッグサイトの「グッドデザインエキスポ2011」で
そのi.Laboの展示を行っている。
フォーラムのような活動が、ものづくりから町づくりまで依頼されて
それらを実行する活動を始めたわけで、
こんな活動に対しても、グッドデザインの対象として考えられる時代に
なってきた。
デザインはものばかりではない。

 




2011/05/01





「建築家はせっせせっせと、墓穴を掘っているようなものです。」



多木さんのお宅にうかがったときの

おそらく最後になった研究会でいただいた言葉だ。


多木さんが見たかった建築とは

少なくとも建築家がやっている一種の

自己表現のようなものではなかった。


「記号の息の根を止めるようなもの」

多木さんはいつもそれを探していた。





2011/04/26

Y house にて



一度、多木さんがY house を見たいといわれて、
友人たち数人と知多へ向かった。
多木さんが建築を見に来るのは、これが最初で
最後だった。

しばらく気持ちよさそうに見渡していて
ポツリと
「いいね」

40年ちかくまたがるなかで
はじめてもらった、一度きりのOK。
  


  

2011/04/14

多木さんの他界




木浩二さんが亡くなった。なによりも貴重な経験と知識と影響を受けた方だった。 こころより、ご冥福をお祈りします。

2011/04/13

Pint Perry3


Point Perry 2


Pint Perry



写真家の平井さんに試し撮影をしていただいた。まだ完成直前だが、ほとんどできた状態。


内部の写真はものにはならんだろうと思っていたけれど、(設計中もそんな意識)写真家はちゃんと写真にする。という当たりまえのことに驚く。


   

2011/04/06



ロンドンからもどって、数日京都でお花見をした。まだ咲き始めだったが、天気もよく、市内も渋滞しておらず、大変によろしい。

白川沿いでは観光客が白鷺を眺めていた。東寺の池にもたくさん鷺を見かけた。年老いた鷺の威厳はたいしたものだ。


 

Royal College of Art の トニー

しばらくぶりに、ロンドンのRCA(ロイヤルカレッジオブアート)にアンソニー・ダンを訪ねた。
この時期はえらく忙しいらしい。 デザイン・インタラクション・コースのスタジオで、ドイツ、ブラジル、メキシコ、韓国などから来ている学生の制作を見せてもらう。 みな、自分の作品のもつ社会的な意味や関係性については、非常に意識的だ。 いかにもクリティカル・デザインを標榜するトニーのスタジオらしい。 日本の多くの学生(うちの大学院)はそのあたりが希薄な気がしてならない。 いくつか学生作品を持っていったが、日本で賞をもらったような作品でも そうした社会性がなければ、ぜんぜん相手にしない。 そのあたりは痛快である。 けれども、そうした意義をもった作品を見抜くと、鋭い関心を示してくる。

ロンドンではイーストエンドの変化が、興味深かった。アーティストやデザイナーが、胎動している。

United Visual Artists のスタジオにも行ってみた。 プログラマー、建築家、ミュージック関係、映像関係、電子工作その他いろんなジャンルの若いアーティストが 共同する会社で、最近ロンドンブリッジ南に引っ越してきたばかりだ。 こちらも親切に、最近作や進行中のプロジェクトを見せてもらった。
ロンドンのこうしたアーティストたちは、みな気持ちがいい。



2011/03/21

simoda pointperry



東北地震の津波は下田にも来た。
しかし房総半島が防波堤のようになっているので被害は少なかった。
ここにもたくさんの漁船や船舶がとまっている。
被害がなかったのは不幸中の幸い。

東北の町、原発、これから日本はどうなるのか
私たちは何をしてゆけるのか
いろんな問題が横たわっている。

ポイントペリーの工事の方は4月で終わりそうだ。
しかしもっとずっと先まで、
たくさんの工事が待ち構えている。
日本を作り直さねばならないほどの
たくさんの工事。

 

2010/10/23

point perry


工事中の計画。
敷地から2mほど建物を持ち上げているので、
ガレージまで斜路がついている。
この模型は以前のもので、現状では斜路の代わりに
マウンド状になった。
工費の問題もあるが、ベケットのhappy days に
ならったと言えるかもしれない。
 
 

2010/10/10

冬空




フォルダーを見ていたら、去年の12月21日に大学の裏で撮った写真があった。

帰りがけにふと西の方角を見ると、
冷え切った澄んだ空気のなかで伊吹山から赤い雲が噴き上がって
暗い空が燃えていた。
まるで美しい地獄の風景のようで
ダンテの新曲のようだと思った。
不吉な前兆のようにも見えたが、
この時はまだ喪失はやがてゆっくりと訪れるような気がしていた。
しかしそれはあっという間に追いついて身を取り囲む。
 
10か月前の写真だけれど、もう何年も前のような気がする。
 
 

2010/10/01

慾斎資料館



おおがきビエンナーレが終了した。
大学院で始めた「まちをデザインするプロジェクト」の一環で
幕末に大垣で活躍した蘭方医、植物学者の飯沼慾斎の
仮の「資料館」を町なかの施設に立ち上げて展示した。

慾斎の「草木図説稿本」を所蔵されている 江崎孝三郎氏から
2000点以上の植物画の高精細データをいただいき
50点ほどプリントして資料館として展示。
またipad用の電子書籍も制作して配布した。
どの絵も植物図鑑の説明図にとどまらない見事な絵画表現である。

大垣の町では意外に知られていない慾齊。
過小評価されいている現状だが、
全国では関心を持たれている方も多く、
また幕末当時でも海外から高く評価された素晴らしい人だった。
もっと広く知られてほしい科学者、医者、芸術家である。


 

2010/08/01

かくされた曼荼羅



東寺(教王護国寺)の境内に残る建築は、
昔の壮大な伽藍のほんの一部だということを
室町時代の図で知った。
それ以来、そこに描かれている二重回廊式の
巨大な伽藍を復元したいと 思うようになり、
柱のスパン寸法や建物のプロポーション
建物の位置の相互関係などを検討した結果、
いくつもの隠れた軸線や比例が現れてきた。
そして
おそらくこんなスケールであったろうと思える
伽藍図が出来上がった。

出来上がった伽藍の復元(想定)を見ていたら、
伽藍が境内をいくつかのゾーンに区分していることが読み取れた。
そこで、境内をグリッドに分けてそれぞれの建物の働きごとに
領域を設定していった結果、
巨大な胎蔵界曼荼羅が現れた。

ここまでの考察のプロセスも非常に楽しいものだった。
今度、これを元に新しいアイデアを加えて、
科研の申請をしてみるか。

 

2010/07/24

きよつかギャラリー その2




昨日、清塚さんから新しいギャラリーの現場の写真が送られてきた。
壁に掲げる予定の絵の部分をテープで示してある。それを黒く塗りつぶすとこんな感じになる。
そもそも発端は。。。
先々週のある朝、家で仕事をしていたら携帯に清塚さんからまた電話がかかってきた。 前の清塚ミュージアムの話題の新たな展開である。
「いま建築現場なんだけど。また私のギャラリーができるんだけどちょっと見に来ない?」

これは何かあるなと感じつつ、電話で聞くよりも行った方が早い。小雨の中をすぐ車で駆けつけると、大きな建築現場の前で清塚さんが待っていた。
広大な敷地の中に、大きなビルが立ち上がりつつある。その正面中央に巨大なスロープの空間があって、そこが新しい彼女の作品のためのギャラリーになるという。高い階高のビルの2階分が吹き抜けだから、天井は大変高いしスロープだから当然床は斜めである。鉄骨が立ち上がったばかりの現場に、壁の部分が分かりやすいように白いシートが張ってあった。

清塚さんは、この空間の大きさに圧倒されずに、絵の世界を構築するためのレイアウトを考えあぐねているという。
ここに、銅版画というきわめて限定されたサイズ(プレス機のローラー巾しか印刷できない)の作品を、空間に負けないように構成するのは、ちょっとアイデアがいりそうだ。高さが1mもとれない銅板画を巨大な壁面に対してどう扱うか。また斜めになったスロープと絵との関係をどうするのか。
雨の降る現場の前で白いシートの壁面を眺めながら、ある光景が浮かんだ。それをそばにあった現場事務所でスケッチして清塚さんに見せると、そうハズレでもなさそうな顔である。つまり、絵の高さが印刷条件で限定されるならば、横に並べて長い巻物のような、「水平線」のような絵をつくり、その「線」を空間に書き込んでいくというアイデアだった。寸法を当たって、CADで図面化して詳しい寸法を決めた。午後に大学で外部運営協議会の会議があるので、それまでに間に合うようにと思っていたが、案外すんなりできて御昼前には清塚さんと別れて大垣へ戻った。

そのあと、担当の方が50分の1の模型を作ってくれて、その写真を清塚さんが送ってきた。それを見るとうまくいきそうである。
   

きよつかミュージアム



銅版画家の清塚紀子さんから、30年以上ぶりに突然携帯に電話がかかってきた。
「わたしの美術館が今度できるのよ。」
昨年の10月のことである。

まだ大学院生のころ、つまり1970年代はじめ、ある美術学校予備校で一緒にデッサンや絵画を教えるアルバイトをしていた。彼女は小磯良平研究室で油絵専攻、私は建築の研究室にいたが、昼休みになるとよく銀座の画廊巡りをしたり、秋葉原の電器街をほっつき歩いた。話題になっている画家、展覧会等の話題は尽きなかったし、建築の話などもしていた。やはり芸大の油絵の野見山先生のお住まいは篠原一男の設計による「海の階段」という作品だった。ある晩、清塚さんに頼んで建築の友人たちも連れて、野見山先生のお宅を訪問し、そのアトリエで時間を過ごしたこともあった。この後私は、芸大の大学院を出て東工大の篠原一男研究室に入ることになる。

しかしその後は年賀状のやり取りだけの30年が続いてきたので、大垣の路上でいきなり
「きよつかです。」
と電話がかかったのにはいささか驚いた。その上、
「私の美術館ができるのよ。」
と聞いて、さらに驚く。その場所なら車で20分くらいのところである。
その電話では、彼女の美術館が生まれるにいたった経緯を聞いた。
かなり長い話を縮めると、彼女の展覧会を見られた方が200点以上の作品を新たに刷って、美術館を建てて収蔵し一般にも公開することになったという。 縮めてしまうとぜんぜん面白くない話になってしまうが、そういうことである。
そんなわけで、昨年の11月1日に、清塚ミュージアムのオープニングを訪ねた。美術館の建物は軽井沢の別荘のような木造の平屋で、さわやかな木立に囲まれていた。清塚さんをはじめ、昔のアルバイト仲間が集まっていたが、35年もたって再会してみると誰もがすっかりおじいさんになっていた。

久しぶりにそこで、かつて見ていた多くの作品に出会った。それ以降の作品もあったが、その基本は我々がアルバイトをしていた大学院時代にすでにできていた。アルシュという銅板画用の紙に薄い鉛板を貼り、エッチングとアクアチントで明快な形象を描き、印刷したうえで、電気回路用の抵抗やコンデンサーをハンダ付けしてある。だから銅板画といえども立体なのである。鉛の思い銀色とインクの黒、紙の白、これだけで簡潔で緊張感のある画面が生まれ、そこに描かれた形や線とハンダ付けされたパーツが奇妙に共存して、不思議な強い風景を生んでいる。心象風景のようでもあり、それ自体であってそれ以外ではないといった風景でもある。画面の向こうに書き込まれた作家の私的な世界をのぞくのではなく、こちら側へ無言で無名の風景が提示されている。彼女の作品は、あのころ芸大の版画で教鞭をとっていた駒井哲郎のシュールで私的な画風とも、直接の師だった野見山暁治のロマン風の具象とも違って、乾いた具体のにおいがする。

 

2010/06/21

お誕生記念法要



6月15日は弘法大師のお誕生日。
あいにくの梅雨空だが東寺にたくさんの幼子が集まり
朝から西院(御影堂)で法要。

御影堂の内陣に据えられた弘法様の小さな立像に向かって
次々に幼稚園児が列を作って唱える。

             じ        と                  
こうぼうさま おたん ょうび おめで うございます

おめでとう・・の「と」がもち上がるアクセントがかわいらしい。
そのあと、子供たちは大きな金堂の軒の下に並んですわって
いろいろな歌を披露してくれた。

ああ、こういう使い方もあったんだ、と巨大な軒の木組みを見上げる。

2010/03/11

POINT PERRY



project Companyをもとに生まれた計画。
敷地は, 1852年11月24日
マシュー・カルブレース・ペリーを乗せた
巡洋艦ミシシッピ号を旗艦とする東インド艦隊が上陸した地点。

床面積 320.15㎡
敷地面積 4670.57㎡
敷地状況 平坦. 海岸.
用途 港湾施設 .構造 鉄筋コンクリート構造

2010/02/03

伴侶 Company



暗闇の中に螺旋形にねじれたような黒い空間がある。どこから始まり、どこで終わるのかは明確ではない。
螺旋的な関係をもった空間が生まれ、それが次の空間へと繋がり、また次へと繋がるように見えるだけかもしれない。
すべては闇の中でしかも空間は黒い素材で作られているために見えない。
また空間は完全に閉じられており内部を想像することができない。

2009/12/24

ポリスストリート



大垣という町は、一時景気がよくそのあとすっかりさびれてれてしまったので、 町中にたくさんの老朽化したビルが残っていて、友人などはベルリンにそっくりだと気に入っている。
そう言われてみれば、そんな気もしなくもない。

ここは暗黒街。
と私が勝手に呼んでいる裏通りの一角。
角に交番があるからポリスストリートと皆は呼んでいる。
端から端まで約150mのこの通りは、30年の間ほこりをかぶったままだが、すぐ横にはお城のある公園、多目的ホールなどがあって町の中心部、実は環境は良いところ。
だが、通りに面したビルやアパートは、すさまじく荒廃している。
家賃はタダ同然だから、まだそこに住んでいる人がのこり、倉庫などに使われているところもあるが、空き家がほとんどのようでシャッターが閉まっている。

こんな崩れかけたようなビルを、壊さないで活用していくことに、本当は町の面白さがある。
などという話で、商店街の若い人たちとポリスストリートの開発話がもりあがり、ビルの裏側に「町づくりサロン」をつくって、皆のたまり場にしようというので絵を作ってみた。ちょうど駐車場もあるから、車やバイクで乗り付けるのにもよい。
実際に実現するには難関だらけだが、想像するだけでも面白そうである。

2009/11/17

テグス


海沿いの道端に干物を干すパネルが並んでいる。
初めは朝日に向かって垂直に近い感じでパネルが立っているが、
だんだん日が高くなるにつれて、効率よく干せるように
パネルの傾斜を寝かせてゆく。
よーくみると、すべてのパネルがテグスで結ばれていて、
それをひくと、一斉にパネルが倒れてゆく。
日の出から3~4時間ほどで干物が完成。

尾の身




伊豆の伊東の干物屋さんが干しているマグロの尾の切り身。
尾の身といい、みりんで味付けされている。
直径は15センチくらいで、かなりぶ厚いから食べ応えあり。
大きさに応じて400円から600円。
ここにしかないと自慢するのは、星野ひもの店の大将。

2009/11/06

ミグ23B



イラク駐在の米兵士が撮った写真
放置されたイラク軍のミグに、グラフィティが描かれている

2009/10/31

大崖




町を見下ろす金生山の頂に、虚空蔵菩薩を祀る明星輪寺がある
弘法大師が訪れた伝説もある

金生山は奇妙な山で、
古生物が堆積して形成された石灰岩層の海底が
2億5千万年から3億5千万年前に隆起してできた山
だから、たくさんの化石が出る
金生山化石館という建物が中腹に建つ


石灰岩と大理石の採掘は100年近く続いている
山腹のあちこちに、朽ち果てた過去の採掘の遺構が放置されて
山の西側はすっかり削り取られ消失し
そこにできた大きな無の上に崖がそびえている

その崖は町のどこからでも見えて
巨大な虚無が日常性のなかにつきまとっている

2009/10/11

飯沼慾斎



近所に飯沼慾斎住居跡という石碑が建っている。
その前の荒れ果てた家に不動産屋の広告があって、売りに出されている。

飯沼慾斎は幕末の植物学者。
草木図説という素晴らしい植物図鑑を著した。
当時最も進んでいたリンネの分類にならい、牧野富太郎もこれを学び
明治40年には牧野さんが草木図説の草部20巻を4冊にまとめて出版している。
木部はなんと1977年になって初めて2冊で刊行されている。
死後100年あまりたってからだ。
ページいっぱいにのびのびと描かれた植物の絵が実にたのしい。

慾斎邸のあとにたつ家は、40年くらい前のものだろう。
その家自身は荒れており歴史的な価値も不動産価値もない。
モルタルの外壁に瓦屋根。階高の高い2階建てで、倉庫らしいものがあるので
かつては何かの問屋だったかもしれない。

この土地にはきちんとした飯沼慾斎の資料館が建てばいいなと思う。

2009/09/26

高山


高山は人でいっぱい。
古い街並みがそれぞれの商店によって上手に整備され、
観光客を集める。
こういうことができるのも小さな町の良さなのだろう。
中には書割のような建物があっても
古い民家が多いために町並み全体は品がいい。
勝手に建物を変えて町が壊れないように、
かなりしっかりしたコミュニティによる自制があるようだ。
地方都市の作り方をきちんと自分たちで考えないと
せっかくいい建物が残っていても取り壊されて
ほっておくと何の魅力もない町になってしまう。
高山は一つの例だが、もっと別のモデルもあっていい。
江戸村、明治村ばかりでなく、昭和村さえ商業的に作られているのだから。
まだ本物が町に残っているうちに、皆が気づかないと
手遅れになる。

2009/09/23

闇と光




住み手がいなくなり放置された部屋。
壊れて開いたままの窓はダンボールでふさがれているが
隙間から容赦なく雨が吹き込んで部屋は荒みきっていた。
胸騒ぎが押し寄せるような闇と光。

大垣アナーキー



誰も行かないアパートの屋上。
ここは駅前通りの中心、町のど真ん中のアパートの屋上。
屋上だけではなく、アパート全体がいい感じにアナーキー。
この町でだれか映画を撮らないかな。

巾着田



川が巾着袋のような形にぐるっと取り囲んだ田圃
日高市にある面白い地名
秋の彼岸には、まるで世界が発狂したかと思うような赤で塗りつぶされる。

曼珠沙華。
きちんと開花をお彼岸に合わせる自然のプログラムは見事。
全草有毒で、特に燐茎にはアルカロイド(リコリン))を多く含むらしい。
誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には
中枢神経の麻痺を起こして死にいたるとある。

この鱗茎は澱粉に富み、有毒成分であるリコリンは水溶性だから
長時間水に晒せば無害化することも可能とのこと。
救飢植物として第二次大戦中などの戦時には食用とされた事もあるらしい。
毒まで食べる工夫をしたとは、よっぽど食糧に困窮したのだろう。

2009/08/23



四角い箱のような外観のなかには3つの中庭がある。
一番大きなこのコートは、もっとも奥まった内部である外部。
暗い紫色はこの家の主人である作家の心の深淵の色。
と、私が感じた色。


大きなリビングからは広いコートへ出られる。
リビング中央にあるピアノは100年ほど前のフランスのエラール。
平行弦でバロックに向いている個性あふれる音色。


軽井沢に工事中だった小説家の住宅。
7月ぎりぎりで完成。

2009/06/10

Big Site



2年がかりでデザインをしたI社のためのシステムキッチンとバスルーム。
この4月からCLというシリーズ名で発売された。
デザインは大変好評(自画自賛)。
社としてGマークをとろうということで、ビッグサイトでの展示ブースを
デザインした。
写真はそのスケッチモデル。
うまく賞が取れるかな。

2009/05/30

1000m下の湖




ラサから海抜5000mの峠へ上る。
空気が薄いので10歩くとしばらく休む。
峠からそのむこうを見下ろすと
1000mほど下にヤムドゥク湖が青く広がっていた。

空気は澄み切ってどこまでもピントが合う。
よく見ると湖畔から丘にかけて緑の牧草地には
ヤクの群れがいた。

2009/05/13

PLAY



ベケットの戯曲からヒントを得て、
建築を考えてみることにした。

建築家の視点でみて、物語の構造だけでなく
破天荒な空間性や身体性。
既成の芸術の枠を爆破していくプログラム。
こんなにスリリングな作家はいない。
演劇専門の研究家からみたら的外れでも、
思いつくままに、建築のプログラムにコンバートしたら、
どうなるだろうか。
10くらいの作品を選び
10坪程度の住宅、という限定の中で表現してみようかな。
あまり深刻ばらずに。

最初は Play (1963) .
舞台上には、大きな甕から首だけ出している3人の死者。
それぞれが勝手気ままに猛烈なスピードで喋り捲る。
首以外は甕の中なので、身体の動きは一切なし。
せりふだけが空間を飛び交う。
演劇を作るメディウムはことばだけでよい、というのだろうか。
そのための奇想天外な設定として死者の首。
死者であることからそこに何らかの物語性が生じるとすれば、
それすらも Not I (1973 ) では排除されてゆく.

2009/05/08

舞台



谷川賢作さんの作曲になるミュージカルの舞台の美術を担当した。
東京中野区のゼロホール(劇場、図書館の複合施設)を拠点に
活動する ゼロキッズというMPOグループのイベント。
タイトルは ふしぎの森。
写真はリハーサルなので本番の照明がされていない。
子供と大人が大勢出演。
ロバの音楽座という中央アジア的楽団も重要な音楽要素として出演。

演出は大多和勇さんと、出演もする飯田浩志さんで、
それぞれご自身でも劇団を主宰されている。
飯田さんはこの公演の後は俳優を辞められるという。
いつかまた復帰されることを祈ります。
まだお若くて才能もあるのに残念。
プロに囲まれて、主役の子供たちは素人とは思えないがんばりを見せた。

2009/05/07

大垣ベーコン



ベーコンを10キロつくる。
「大垣ベーコン」という商標をとったほうがいいという
神戸の友人もいるくらいの人気ものだが、
チャーシューみたいな味だという厳しい意見もあって
研究を重ねた結果、
とても香ばしいベーコンができるようになった。
パスタ屋さんでいろいろなソースに使ってもらって好評である。


10時くらいから火をいれ初め、昼過ぎから燻製。
4時くらいにできる。
友人を招いてベーコンパーティにもってこい。
この日は同僚のジェームス(ロンドン子)と
パリっ子のジュリアンという、変な国際交流。
しかしフランス人て、延々と食べ物と女性の話ししかしない。

2009/03/19

現場



長野の住宅の工事がようやく始まった。
このブログを始めるきっかけにもなった計画で
計画案はずいぶん変化した。
最終的には奇抜でも前衛的なみかけもない。
町の景観条例の規制があって、軒の出や勾配屋根、
色などを定めている。
保守的な家のステレオタイプといってもよい。
ありふれたともいえる家の形式を求める
そんな枠組のなかで何ができるのかが課題だった。

実施案は、そんな条件のなかでかなりいい線を行っている。
とおもう。
斜面に木造の平屋が上っていくような構成だが
地盤が悪いので杭打ち工事が必要。
平屋にしては大掛かりな造成である。

2009/02/21

jazz live



地元のジャズメンが練習場所に使いたいというので
部屋を開放することになった。
そこで、仕事仲間を呼んで皆で昼過ぎからパーティをし
夜は皆でジャズの演奏を楽しむことにした。
仲間の一人がサックスを持ってきて、飛び入り参加している。


ジャズスタンダードを中心にした素敵なピアノトリオで、
部屋の大きさがちょうど良かったのか音のバランスも非常に良かった
練習のはずだったのに、結局20名以上の観客が入り
狭い部屋が満員で盛り上がった。
今度、椿姫のプリマを演じるソプラノ歌手も観客の中におられて
途中でオペラを歌うなど、楽しい宵になった。

2009/02/19

come & go 2



しばらく更新しなかったので、小さな計画をアップ。
10坪の休暇小屋。

去年、神戸の大学でコルビジェの休暇小屋をめぐって
極小の空間とその構築法、当時の工業化の問題など考察をした。
モデュロールの再考や、日本の例(鴨長明の方丈や待庵ほか)も
あらためて眺めてみるとなかなか楽しかった。


そこでというわけではないけれど
以前A&Aギャラリーで展示した come & go の計画 を
もう一度再考してみようという気になって、
景観条例や敷地の気候条件などに対応させながら
いろんなテーマの変奏を企てている。

2009/01/28

Triumph Superior



はしずめ師に、ちょっとご報告。
このバイクは15年位前に2年がかりで自作したものです。
全体のフォルムは戦前バイク。30年代のブルックランズ・レーサー風。
まあ、Brouph.

エンジンはさすがに作れないので
750のトライアンフ、バーティカル・ツインです。
ビス1本までばらしてクランクシャフトの内部まで清掃しました。
本来はユニット(エンジンとギアボックスが1体)ですが、
別体に見えるように加工しています。

フレームはリジッド。
フロントサスもテレスコピックにはしたくないのですが、
よいスプリンガーフォークは入手困難であきらめました。

フロントは21インチ、リアは19インチです。
もちろんスポークを作ってもらい自分で組んだ車輪。

ガソリンタンク、オイルタンクなどは鉄板をまげて溶接。
鉄板を曲げる機械がないので電信柱に押し当てたり塀にはさんで曲げたり。
かなり笑える作業でした。

イカの様なサイレンサーはブルックランズレース仕様。
ブルックランズ(20-30年代のイギリスのバイクレース場)に出る車は
みなこの形のサイレンサーなので、写真を見て作りました。
スチールワイアーを詰め込んでありますが、かなり甲高い音です。

シートはイギリスの中古品、ヘッドライトは戦前型ですがインド製。
皮のサイドバッグも自分で縫製したものです。
スチールのケースについています。
工具箱は本田のCB450から取ったものですが、雰囲気はぴったり。
(オイルタンクの下)

ハンドルはブラフ風のバランスを狙ってフロントフォークの頭に
直接1本ずつ短いハンドルがついています。
ライセンスプレートとランプも戦前の形。
無いものはみな鉄板や鉄パイプを切ったり曲げたり、
かなり楽しい作業でした。

走り?
ちゃんと走りましたよ。
でも、ひとつだけ失敗はキャブ。
Amalにしておけばよかったのですが
メンテを考えてCRキャブにしたので、
ラバーのマニフォールドが切れています。
したがって今はエンジンがかかりません。

2009/01/17

飛行訓練 2



同じく最新式の軍備。

飛行訓練 1



軍関係の友人から頂いた貴重(?)な写真。イラクにて。
どの国もこのくらいの軍備になってもらえないだろうか。

ぼうさんたち



後七日御修法の日はたくさんの僧侶が東寺に詰め掛けていた。
境内を行進するかのように行列を作っているのは
高野山からの若い修行僧。
仁和寺からの一団もあり、それぞれ祭儀に参加している。
それに一般の人々も加わってにぎやか。

講堂のまえで時間まちの坊さんたちがいた。
一番手前の若い層が一心に何かを読みふけっていたのが
印象的だった。

せいこう師



東寺のお坊様たちにはユニークな方が多い。
いろんな武勇伝があって話題が尽きない。
この方は、厳かに伝法灌頂を執り行う一方で
マイクで境内アナウンスまでなさる、せいこう師。
お坊様というと眠ったようなベールのかかった目つきのお顔
というイメージがあったが、せいこう師の目はきらきらしている。
町では見ることができない目の光だ。

バラしてしまってはいけないのかもしれないが、
せいこう師はブルーのハーレーダビッドソンに乗られている。
またGパンがお好きでビンテージモノには目がない。

私のブログでビウンセント(バイク)のスピード記録について
書いていたのをご覧になって、

「べたですなあ。」

と一言。なかなか敷居は高い。

こんど、私がタンクからなにから全部自分で作ったバイクをみせて
自慢してしまおうかな。

後七日御修法



1月14日の水曜、朝の9時ころ東寺の御影堂につく。
うす曇のなかに時たま光が差しこむ天気で、
近所の老人がとぼとぼと歩いて来ては手を合わせていた。

この日は東寺の灌頂院という大きなお堂で、

7日間にわたって厳しい祈祷を続ける、
後七日御修法という祭儀の最後の日。
真暗な灌頂院の闇の中には
巨大な日本最古の彩色曼荼羅図(国宝)を2帳掲げて、
たくさんの護摩壇を設け7日にわたって護摩をたく。

御修法が終わると
真っ赤な日傘を差したお坊さんたちが行列してきて

修行を終えた僧侶たちを出迎える。
それから一緒に退出して

御所からの勅旨を御影堂で出迎えていた。
行列の中に骨壷のようなものを頂いている僧がいた。
空海が持ち帰った仏舎利が入っているのだろうか。

2008/12/28

1948年のソルトレイク




爆走話ついでに、もうひとつ好きな写真。
48年7月13日に、ローリー・フリーがソルトレイクでスピード記録を
樹立した時の写真。

車は言わずと知れたビンセントのブラック・ライトニング。
余分なものを外して100ポンド軽量化し、ノーマルの
ブラックシャドウよりもさらに25馬力高められている。

238km/h(148マイル)でスピードレコードを記録したローリー。
しかしここでさらに、150マイルを破ろうと決意する。

ところが彼の革製のライディングスーツは風圧でほつれていた。
これで走れば当然空気抵抗は増してしまう。
そこで、テニスシューズと海水パンツ、水泳帽を借りる。
こんないでたちで再度挑戦した。
全く命知らずだ。

そして、数分前に彼自身が樹立した記録をさらに上回り、
150.313 マイル (241.905 km/h)という記録を打ち立てる。

このバイクは今もテキサスのハーブ・ハリスのコレクションにある。

わけのわかなないもの



B級アクション映画では、よく車のコンソールボックスあたりに
隠しパネルがあって、そこのスイッチを入れるとジェット燃料が
点火して、飛ぶ様に爆走するというシチュエーションがある。
ジェットエンジンを車に乗せて走ってみようなどと考えるのは
簡単だが、実現するにはえらく手間と金がかかることだろう。
面倒だと思うのではなく、その困難をとことん楽んでしまうのが、
アメリカ人気質なのだろう。

しかも、ようやく完成して走ってみると、大したことはなかった、
などとなると、ますます燃えるのだろうな。