2009/11/06

ミグ23B



イラク駐在の米兵士が撮った写真
放置されたイラク軍のミグに、グラフィティが描かれている

2009/10/31

大崖




町を見下ろす金生山の頂に、虚空蔵菩薩を祀る明星輪寺がある
弘法大師が訪れた伝説もある

金生山は奇妙な山で、
古生物が堆積して形成された石灰岩層の海底が
2億5千万年から3億5千万年前に隆起してできた山
だから、たくさんの化石が出る
金生山化石館という建物が中腹に建つ


石灰岩と大理石の採掘は100年近く続いている
山腹のあちこちに、朽ち果てた過去の採掘の遺構が放置されて
山の西側はすっかり削り取られ消失し
そこにできた大きな無の上に崖がそびえている

その崖は町のどこからでも見えて
巨大な虚無が日常性のなかにつきまとっている

2009/10/11

飯沼慾斎



近所に飯沼慾斎住居跡という石碑が建っている。
その前の荒れ果てた家に不動産屋の広告があって、売りに出されている。

飯沼慾斎は幕末の植物学者。
草木図説という素晴らしい植物図鑑を著した。
当時最も進んでいたリンネの分類にならい、牧野富太郎もこれを学び
明治40年には牧野さんが草木図説の草部20巻を4冊にまとめて出版している。
木部はなんと1977年になって初めて2冊で刊行されている。
死後100年あまりたってからだ。
ページいっぱいにのびのびと描かれた植物の絵が実にたのしい。

慾斎邸のあとにたつ家は、40年くらい前のものだろう。
その家自身は荒れており歴史的な価値も不動産価値もない。
モルタルの外壁に瓦屋根。階高の高い2階建てで、倉庫らしいものがあるので
かつては何かの問屋だったかもしれない。

この土地にはきちんとした飯沼慾斎の資料館が建てばいいなと思う。

2009/09/26

高山


高山は人でいっぱい。
古い街並みがそれぞれの商店によって上手に整備され、
観光客を集める。
こういうことができるのも小さな町の良さなのだろう。
中には書割のような建物があっても
古い民家が多いために町並み全体は品がいい。
勝手に建物を変えて町が壊れないように、
かなりしっかりしたコミュニティによる自制があるようだ。
地方都市の作り方をきちんと自分たちで考えないと
せっかくいい建物が残っていても取り壊されて
ほっておくと何の魅力もない町になってしまう。
高山は一つの例だが、もっと別のモデルもあっていい。
江戸村、明治村ばかりでなく、昭和村さえ商業的に作られているのだから。
まだ本物が町に残っているうちに、皆が気づかないと
手遅れになる。

2009/09/23

闇と光




住み手がいなくなり放置された部屋。
壊れて開いたままの窓はダンボールでふさがれているが
隙間から容赦なく雨が吹き込んで部屋は荒みきっていた。
胸騒ぎが押し寄せるような闇と光。

大垣アナーキー



誰も行かないアパートの屋上。
ここは駅前通りの中心、町のど真ん中のアパートの屋上。
屋上だけではなく、アパート全体がいい感じにアナーキー。
この町でだれか映画を撮らないかな。

巾着田



川が巾着袋のような形にぐるっと取り囲んだ田圃
日高市にある面白い地名
秋の彼岸には、まるで世界が発狂したかと思うような赤で塗りつぶされる。

曼珠沙華。
きちんと開花をお彼岸に合わせる自然のプログラムは見事。
全草有毒で、特に燐茎にはアルカロイド(リコリン))を多く含むらしい。
誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には
中枢神経の麻痺を起こして死にいたるとある。

この鱗茎は澱粉に富み、有毒成分であるリコリンは水溶性だから
長時間水に晒せば無害化することも可能とのこと。
救飢植物として第二次大戦中などの戦時には食用とされた事もあるらしい。
毒まで食べる工夫をしたとは、よっぽど食糧に困窮したのだろう。

2009/08/23



四角い箱のような外観のなかには3つの中庭がある。
一番大きなこのコートは、もっとも奥まった内部である外部。
暗い紫色はこの家の主人である作家の心の深淵の色。
と、私が感じた色。


大きなリビングからは広いコートへ出られる。
リビング中央にあるピアノは100年ほど前のフランスのエラール。
平行弦でバロックに向いている個性あふれる音色。


軽井沢に工事中だった小説家の住宅。
7月ぎりぎりで完成。

2009/06/10

Big Site



2年がかりでデザインをしたI社のためのシステムキッチンとバスルーム。
この4月からCLというシリーズ名で発売された。
デザインは大変好評(自画自賛)。
社としてGマークをとろうということで、ビッグサイトでの展示ブースを
デザインした。
写真はそのスケッチモデル。
うまく賞が取れるかな。

2009/05/30

1000m下の湖




ラサから海抜5000mの峠へ上る。
空気が薄いので10歩くとしばらく休む。
峠からそのむこうを見下ろすと
1000mほど下にヤムドゥク湖が青く広がっていた。

空気は澄み切ってどこまでもピントが合う。
よく見ると湖畔から丘にかけて緑の牧草地には
ヤクの群れがいた。

2009/05/13

PLAY



ベケットの戯曲からヒントを得て、
建築を考えてみることにした。

建築家の視点でみて、物語の構造だけでなく
破天荒な空間性や身体性。
既成の芸術の枠を爆破していくプログラム。
こんなにスリリングな作家はいない。
演劇専門の研究家からみたら的外れでも、
思いつくままに、建築のプログラムにコンバートしたら、
どうなるだろうか。
10くらいの作品を選び
10坪程度の住宅、という限定の中で表現してみようかな。
あまり深刻ばらずに。

最初は Play (1963) .
舞台上には、大きな甕から首だけ出している3人の死者。
それぞれが勝手気ままに猛烈なスピードで喋り捲る。
首以外は甕の中なので、身体の動きは一切なし。
せりふだけが空間を飛び交う。
演劇を作るメディウムはことばだけでよい、というのだろうか。
そのための奇想天外な設定として死者の首。
死者であることからそこに何らかの物語性が生じるとすれば、
それすらも Not I (1973 ) では排除されてゆく.

2009/05/08

舞台



谷川賢作さんの作曲になるミュージカルの舞台の美術を担当した。
東京中野区のゼロホール(劇場、図書館の複合施設)を拠点に
活動する ゼロキッズというMPOグループのイベント。
タイトルは ふしぎの森。
写真はリハーサルなので本番の照明がされていない。
子供と大人が大勢出演。
ロバの音楽座という中央アジア的楽団も重要な音楽要素として出演。

演出は大多和勇さんと、出演もする飯田浩志さんで、
それぞれご自身でも劇団を主宰されている。
飯田さんはこの公演の後は俳優を辞められるという。
いつかまた復帰されることを祈ります。
まだお若くて才能もあるのに残念。
プロに囲まれて、主役の子供たちは素人とは思えないがんばりを見せた。

2009/05/07

大垣ベーコン



ベーコンを10キロつくる。
「大垣ベーコン」という商標をとったほうがいいという
神戸の友人もいるくらいの人気ものだが、
チャーシューみたいな味だという厳しい意見もあって
研究を重ねた結果、
とても香ばしいベーコンができるようになった。
パスタ屋さんでいろいろなソースに使ってもらって好評である。


10時くらいから火をいれ初め、昼過ぎから燻製。
4時くらいにできる。
友人を招いてベーコンパーティにもってこい。
この日は同僚のジェームス(ロンドン子)と
パリっ子のジュリアンという、変な国際交流。
しかしフランス人て、延々と食べ物と女性の話ししかしない。

2009/03/19

現場



長野の住宅の工事がようやく始まった。
このブログを始めるきっかけにもなった計画で
計画案はずいぶん変化した。
最終的には奇抜でも前衛的なみかけもない。
町の景観条例の規制があって、軒の出や勾配屋根、
色などを定めている。
保守的な家のステレオタイプといってもよい。
ありふれたともいえる家の形式を求める
そんな枠組のなかで何ができるのかが課題だった。

実施案は、そんな条件のなかでかなりいい線を行っている。
とおもう。
斜面に木造の平屋が上っていくような構成だが
地盤が悪いので杭打ち工事が必要。
平屋にしては大掛かりな造成である。

2009/02/21

jazz live



地元のジャズメンが練習場所に使いたいというので
部屋を開放することになった。
そこで、仕事仲間を呼んで皆で昼過ぎからパーティをし
夜は皆でジャズの演奏を楽しむことにした。
仲間の一人がサックスを持ってきて、飛び入り参加している。


ジャズスタンダードを中心にした素敵なピアノトリオで、
部屋の大きさがちょうど良かったのか音のバランスも非常に良かった
練習のはずだったのに、結局20名以上の観客が入り
狭い部屋が満員で盛り上がった。
今度、椿姫のプリマを演じるソプラノ歌手も観客の中におられて
途中でオペラを歌うなど、楽しい宵になった。

2009/02/19

come & go 2



しばらく更新しなかったので、小さな計画をアップ。
10坪の休暇小屋。

去年、神戸の大学でコルビジェの休暇小屋をめぐって
極小の空間とその構築法、当時の工業化の問題など考察をした。
モデュロールの再考や、日本の例(鴨長明の方丈や待庵ほか)も
あらためて眺めてみるとなかなか楽しかった。


そこでというわけではないけれど
以前A&Aギャラリーで展示した come & go の計画 を
もう一度再考してみようという気になって、
景観条例や敷地の気候条件などに対応させながら
いろんなテーマの変奏を企てている。

2009/01/28

Triumph Superior



はしずめ師に、ちょっとご報告。
このバイクは15年位前に2年がかりで自作したものです。
全体のフォルムは戦前バイク。30年代のブルックランズ・レーサー風。
まあ、Brouph.

エンジンはさすがに作れないので
750のトライアンフ、バーティカル・ツインです。
ビス1本までばらしてクランクシャフトの内部まで清掃しました。
本来はユニット(エンジンとギアボックスが1体)ですが、
別体に見えるように加工しています。

フレームはリジッド。
フロントサスもテレスコピックにはしたくないのですが、
よいスプリンガーフォークは入手困難であきらめました。

フロントは21インチ、リアは19インチです。
もちろんスポークを作ってもらい自分で組んだ車輪。

ガソリンタンク、オイルタンクなどは鉄板をまげて溶接。
鉄板を曲げる機械がないので電信柱に押し当てたり塀にはさんで曲げたり。
かなり笑える作業でした。

イカの様なサイレンサーはブルックランズレース仕様。
ブルックランズ(20-30年代のイギリスのバイクレース場)に出る車は
みなこの形のサイレンサーなので、写真を見て作りました。
スチールワイアーを詰め込んでありますが、かなり甲高い音です。

シートはイギリスの中古品、ヘッドライトは戦前型ですがインド製。
皮のサイドバッグも自分で縫製したものです。
スチールのケースについています。
工具箱は本田のCB450から取ったものですが、雰囲気はぴったり。
(オイルタンクの下)

ハンドルはブラフ風のバランスを狙ってフロントフォークの頭に
直接1本ずつ短いハンドルがついています。
ライセンスプレートとランプも戦前の形。
無いものはみな鉄板や鉄パイプを切ったり曲げたり、
かなり楽しい作業でした。

走り?
ちゃんと走りましたよ。
でも、ひとつだけ失敗はキャブ。
Amalにしておけばよかったのですが
メンテを考えてCRキャブにしたので、
ラバーのマニフォールドが切れています。
したがって今はエンジンがかかりません。

2009/01/17

飛行訓練 2



同じく最新式の軍備。

飛行訓練 1



軍関係の友人から頂いた貴重(?)な写真。イラクにて。
どの国もこのくらいの軍備になってもらえないだろうか。

ぼうさんたち



後七日御修法の日はたくさんの僧侶が東寺に詰め掛けていた。
境内を行進するかのように行列を作っているのは
高野山からの若い修行僧。
仁和寺からの一団もあり、それぞれ祭儀に参加している。
それに一般の人々も加わってにぎやか。

講堂のまえで時間まちの坊さんたちがいた。
一番手前の若い層が一心に何かを読みふけっていたのが
印象的だった。

せいこう師



東寺のお坊様たちにはユニークな方が多い。
いろんな武勇伝があって話題が尽きない。
この方は、厳かに伝法灌頂を執り行う一方で
マイクで境内アナウンスまでなさる、せいこう師。
お坊様というと眠ったようなベールのかかった目つきのお顔
というイメージがあったが、せいこう師の目はきらきらしている。
町では見ることができない目の光だ。

バラしてしまってはいけないのかもしれないが、
せいこう師はブルーのハーレーダビッドソンに乗られている。
またGパンがお好きでビンテージモノには目がない。

私のブログでビウンセント(バイク)のスピード記録について
書いていたのをご覧になって、

「べたですなあ。」

と一言。なかなか敷居は高い。

こんど、私がタンクからなにから全部自分で作ったバイクをみせて
自慢してしまおうかな。

後七日御修法



1月14日の水曜、朝の9時ころ東寺の御影堂につく。
うす曇のなかに時たま光が差しこむ天気で、
近所の老人がとぼとぼと歩いて来ては手を合わせていた。

この日は東寺の灌頂院という大きなお堂で、

7日間にわたって厳しい祈祷を続ける、
後七日御修法という祭儀の最後の日。
真暗な灌頂院の闇の中には
巨大な日本最古の彩色曼荼羅図(国宝)を2帳掲げて、
たくさんの護摩壇を設け7日にわたって護摩をたく。

御修法が終わると
真っ赤な日傘を差したお坊さんたちが行列してきて

修行を終えた僧侶たちを出迎える。
それから一緒に退出して

御所からの勅旨を御影堂で出迎えていた。
行列の中に骨壷のようなものを頂いている僧がいた。
空海が持ち帰った仏舎利が入っているのだろうか。

2008/12/28

1948年のソルトレイク




爆走話ついでに、もうひとつ好きな写真。
48年7月13日に、ローリー・フリーがソルトレイクでスピード記録を
樹立した時の写真。

車は言わずと知れたビンセントのブラック・ライトニング。
余分なものを外して100ポンド軽量化し、ノーマルの
ブラックシャドウよりもさらに25馬力高められている。

238km/h(148マイル)でスピードレコードを記録したローリー。
しかしここでさらに、150マイルを破ろうと決意する。

ところが彼の革製のライディングスーツは風圧でほつれていた。
これで走れば当然空気抵抗は増してしまう。
そこで、テニスシューズと海水パンツ、水泳帽を借りる。
こんないでたちで再度挑戦した。
全く命知らずだ。

そして、数分前に彼自身が樹立した記録をさらに上回り、
150.313 マイル (241.905 km/h)という記録を打ち立てる。

このバイクは今もテキサスのハーブ・ハリスのコレクションにある。

わけのわかなないもの



B級アクション映画では、よく車のコンソールボックスあたりに
隠しパネルがあって、そこのスイッチを入れるとジェット燃料が
点火して、飛ぶ様に爆走するというシチュエーションがある。
ジェットエンジンを車に乗せて走ってみようなどと考えるのは
簡単だが、実現するにはえらく手間と金がかかることだろう。
面倒だと思うのではなく、その困難をとことん楽んでしまうのが、
アメリカ人気質なのだろう。

しかも、ようやく完成して走ってみると、大したことはなかった、
などとなると、ますます燃えるのだろうな。

2008/12/16

ふさつえ



月に一度、東寺の御影堂で行われている布薩会(ふさつえ)。
布薩会というのは、日々の生活の乱れを僧侶自ら懺悔する
法要ということです。
内陣でさまざまな悪い行いを読み上げて、その後、一人一人
やや色づいた丁子の香りの水で手を清めます。
外陣から眺めている参拝者も清められ、なかなか良い香り。
結縁の仲間入り。

参加者の数を確認する方法が面白い。
漆塗りの大きな箱が2つあり、片方に入っている長い箸を
一人づつもう片方へ入れてゆく。
それを数えて、僧侶が何人、参拝者が何人と報告をしあう。
東寺のお坊さんの袈裟は明るいオレンジ。
いつからそうなのだろうか。非常にきれいだ。

2008/12/10

車窓



何気なく列車の車窓から眺めている風景が、突然心のどこかのスイッチを入れることがある。

幼いときから汽車で親の郷里へ、長い旅行をしていた。都会から田舎へと向かう窓の外を風景が流れ、それをぼんやり眺めてはいろいろなことを想像していた。林があればその中を誰かと走り回る。川があればそこで泳ぐといった単純なことだったと思う。
車窓の風景は静止画とは違って、空間としての奥行きを感じさせるので、どこか身体と結びつきながら感覚している。しかも一瞬心に留まった眺めは次々に展開してゆく風景の中で失われてゆく。あ、と感じた瞬間にはもうそこにはない。だからなぜ、その瞬時の眺めが心に響いたのかを調べる余裕がない。ただ、あ、これだこれが世界だ、と思うだけでそれ以上進むことが出来ない。

しかしいまだに、車窓からぼんやりと眺めていると、そんな風景に出会う。なぜそう感じるのか、いまだにわからない。いつかそんな写真を撮ってやろう、と思っていてなかなか実現しなかったが、垂井から関が原に向かう途中でそんな風景を撮ってみた。

両側を山林で囲まれた田畑があり、その中にぽつんと小さな森がある。その傍らを曲がりくねった道が登っていく。田畑は奥に向かってわずかに傾斜して高くなり、その幅は次第に狭まって森が迫っている。道は森の影に隠れながら奥へと続いている。おそらく私は、森に沿って曲がりながら続いてゆく道に魅了されたのだが、こうして写真を眺めていてもいったいその原因がどこにあるのかを突き止めることが出来ない。

2008/11/22

金閣寺



急に冷え込んで冬めいた朝、ちょっといい日にしようかと京都へ向かう。
途中から冷たい雨にたたかれるが、京都へ入ると雨は上がった。

銀閣寺前の名代うどんを久しぶりにいただき、まずは「いい日度」が1点。
京大前のしんしん堂が空いていたので、煮込んだコーヒーとカレーパン。
ゆるい感じの室内に大きな板のテーブル、気分もほどけて2点。

もみじを見ようと今出川通りを西へ、鹿苑寺に向かうと薄日が差し始めた。
思ったより観光客が多いが、紅葉が始まった庭を楽しんで、
抹茶を飲んで3点目。

足利義満が立てたのが1397年と言うから約600年前。
1994年には「古都京都の文化財」の構成物件として 世界遺産に登録。
炎上したのが1950年。 55年に建設された今の金閣寺は、レプリカなのか
それとも本物なのかよくわからないが、
世界遺産になるとは、めでたし。

しかし、なぜか金閣寺を見ると、
燃やしてしまった僧の母が、福井へ戻る汽車から
飛び降りて死んでしまったことを考えてしまう。

悲しい寺でもある。

2008/10/12

ノヴェチェント



この二つの四角い時計、そっくりです。
左のパテク・フィリップは1921年製。
このころは四角い時計が一斉を風靡した。
右のフランク・ミュラーは2000年からのもの。

大きさも似ているし、時計全体がカーブ(R面)しているところも
同じです。
ただ、左のパテク・フィリップは裏面が平面です。

アールデコのデザインでもあるし、カーブしているので
なんとなくダリの柔らかい時計(1931年)を連想したが、
見るとまったく違ってました。

フランクが四角い時計のうたい文句に、
「ノヴェチェント・スタイルに新たな解釈を加えて現代風にアレンジし、
さらに、アールデコを讃えることで生み出されたものです。」
といっているけれど、意味不明。
どんな「新たな解釈」が加わっているのだろう。

ちなみにノヴェチェントとは、ファシズムの台頭した1922年、
美術評論家M・サルファッティの呼びかけにより
M・シローニ、A・ブッチ、A・フーニ、L・ドゥドレヴィッレらによって、
イタリア・ミラノに結成されたグループ。
ムッソリーニ・シンパであったサルファッティが主導者であったことから、
グループはファシズムへの傾倒を強く示した。
主に英雄や労働者をモチーフとした絵画作品を彼らは発表し、
反前衛と愛国主義をモットーとした。
とありました。

食欲の秋



合板でつくった燻製ストーブです。
在り合わせの板で組み立て式の箱を作り、中に数本の棒を通して、
そこに豚バラ肉を吊ります。チキンもいけます。

バラ肉は1週間ほどミュール液(塩水)につけ、よく塩抜きして乾燥。

下からキャンプ用ガスコンロで過熱し、内部を70度くらいに保つ。
90分の乾燥加熱、90分のスモーク(サクラのチップなど)、
さらに90分の乾燥。
ただそれだけで、驚くほど深みのあるベーコンができます。

一度に10キログラムほどできるので、冷凍すればかなりの期間
秋の味覚が楽しめます。
別に秋でなくてもベーコンは1年中あるけれど、
スモークの香りと味が、秋です。

失われた都市の記憶



このところ、大垣ビエンナーレに絡んだ仕事ですっかりブログにご無沙汰してしまった。

この写真の模型は、現在の大垣市の下層に江戸時代の城のお堀を重ね合わせたもの。
青く光っているのがかつての水面で、城を中心にして幾重にも水路が取り巻いていたことが
わかる。
大垣は江戸期は水上交通の町として栄え、船着場には芭蕉も奥の細道から立ち寄った。
こうした地形はその後大幅に崩されて、今では見る影も無いが、
水門川だけは残り、あとは細い水路がところどころに残っている。
もし水路をすべて保存していたら、見事な城下町だったろう。
惜しいことをしたものだ。

2008/08/31

空虚



同じ町にできた美術館では、若い人々が歩き回る。
こちらも路地のような空間だが、
見事なまでに空虚な空間。
記憶も過去も一切生じないような、際立った空虚さ。
まさに今日的。
巨大な空虚の力が世界を圧倒する中で、それを見事に
可視化する。


2008/08/30

迷路



知らない町の狭い通りに迷い込んで、縫うように迷路を歩く。
誰もいない通りは、次々に謎かけのような光景を見せては、
人を奥へ、奥へと引き込んで行く。

そろそろ、もうこの辺で引きかえそうかなどと考えるときっと、
もっと奥へ行けば何かがあるぞ、と言った風情の階段が現れる。
こんな町が作られるには、綿密な計画と狡賢い知性が必要だろう。
長い間にそんなものが堆積した路地。

デジタル格子





茶屋町の茶店の千本格子。
表から中が見えないようにしながら、室内への光を減じる装置。
スリットの入った風景は、どこかデジタル。
コマ送りの動画。

町の亀裂



金沢の茶屋町の表は、古い町並みが映画セットのようにきれいに並ぶ。
その背後にはぎっしりと家屋がひしめいている。
町の背後のこんな亀裂の空間には、木造の3階建てもまじっている。
表の顔と違ってここには誰かに見られるという意識がない。
脈絡なく積み上げられ、折り重なり、言葉を発することを許さない。
まるで町に潜む見てはいけない欲望を見つけたような気がする。

2008/08/05

バッタのようなもの



二本の後足で跳躍をこころみようと身構えるバッタ

のように見えるが、これは大きなトラックを咥えこんでいる
もっと大きな装置である。

この巨大な装置は、
大きな顎のような台に乗せられたトラックを、
2本の油圧式の足を伸ばして持ち上げて
中身を一気に飲み込んでしまう。
原料は木材を粉砕したチップ。
これを高圧で圧縮し、いろいろな厚さの板を作る。
我々が知らないところで、とんでもないものが作られている。

2008/08/01

町はずれ




大垣、昔繊維産業で栄え、交通の要所として
にぎわった地方都市。
町に残るのは大きな産業の残骸と、
そのすぐ脇に現れた巨大ショッピングモール群。
町はいま、新たな資本の餌食になっている。

町の骨格は戦国時代から何百年もの間に生成された
城下町であり、宿場町であり、
地上交通と水上交通の拠点でもあった。
文人、学者が集い、書画が栄えた文化の町でもあった。

そうした質の高い環境の名残りは、戦災をはじめ
幾多の災害によって壊されて、ほとんど後をとどめていない。
人々がお堀を埋め立ててバラックを建ててできた番外地が
町の中心にある。
そこはまるで廃墟のようにすさんでいる。

だがそうした虚の存在によって、
この町は不思議な魅惑を持つのかもしれない。
町を行くと突然現れる大きな壁。
その先には何も無く、町は、いや世界はここで終焉する。
完全な空虚に囲まれた町。
まるで神話の世界と同居しているような町。

眠る男



この町の人間はみな生々しい。
心拍数が早いかのように歩きまわり
途切れることなく強い調子でしゃべり続け、
いつもどこかへ向かって急いでいる。
そういえば風景全体も日本とは違って
薄いベールのかかった曇りのようなものが無い。
くっきり、はっきり、生々しい。

そんな町でばったりと倒れたように男が眠っていた。
食堂の昼休みか、道端に出した机で
熟睡する料理人のようだ。
彼もまた、生々しく眠っている。


aura



上海から1時間、車で郊外へ。
かつての軍事工場が民間へ払い下げられて
今はアルミの鋳物工場になっている。
大きな天井の高い建物をもてあますように
それほど大掛かりではない鋳造機器が並んで、
アルミのインゴットをつぎつぎに溶かしては
車のホイールに変えて世界へ送り出している。

民間人がちょっと頭を使えば、こうした企業主として
驚くほどの富を築くことができる時代。
昔の日本にもそうした時代があって、
今の大資本の基盤が生まれたのだろう。

ここは、現実でありながら同時に
思い出せない夢の中の風景のようでもある。
生まれたばかりの工業に成り変った軍事工場が
社会主義のアウラを放つ不思議な風景は
まるでアルド・ロッシの描く共同体そのものだ。




2008/07/25

E type



Blue Note といえば、アルフレッド・ライオンとフランク・ウルフ。
2人で何でもやる。
アーティストを探し、レコード制作を取り仕切り、
オーディションやリハーサルに立会い、
しかもウルフの撮るカバー写真がいい。


ドナルド・バードは1950年代から活躍するファンキー・ジャズを
代表するオーソドックスなトランペッターだったが
70年代からクロスオーバー化して、かとおもうと
ワシントンDCのハワード大学で音楽主任教授となったり、
他でも教鞭をとっていた人。

でも、このアルバムの何がいいって、
こんなにJaguar XKE らしい写真は無いんじゃない?
今バードを聴いても、面白くないけどね。
ウルフはいい。
あの馬鹿でかいフロントボンネットを殆ど見せずに、
ペタンとしたヘッドライトだけで、
ウイリアム・ライオン(こっちのライオンはJaguarの方だ)が描いた
究極のラインを彷彿とさせる。
XKE のMark 1だからこそのシンプルな表現だが、
アメリカのレギュレーション向けにヘッドライト周りをいじった
Mark2 や Maek3 では、こうはいかなかった。


デザインは必ず、改良しようとして劣化する。 
という見本だ。

2008/07/21

1坪



神戸の大学院で今年、芸術工学論というのを担当中。
学生はプロダクトやグラフィックなどの混成で、建築専門ではない。
前期にはカップマルタンを読む、というテーマで
1坪のキューブをつくる授業をした。

その中で自分でも作ったのが左側の模型。
右側は助手や学士らと組み立てた原寸大のもの。
わずか1坪でもなかなか居心地がよく、
学生が中ですっかりくつろいで話しこんでいた。

偶然だが以前、この空間には
鴨長明の方丈が復元されておいてあったという。
組み立て式で村人と山の上に運んで組み立てた方丈と、
ベニヤのキューブ、
そしてカップマルタン。
なんだか面白い関係。

2008/07/18

失われた町3



昼間から死んだようにシャッターをおろした商店街の、
そのまた裏側に、さらに過去の時間が沈んでいる。
コミュニティの掲示板も、遺跡のひとつ。
息をひそめて暗い木陰に立っている掲示板は
だいぶ前から沈黙しているが、その前には
駐車禁止の立て札が息の根を止めるかのように立つ。
しかし、それすら朽ちようとしていて、
もうだれもこんな場所に車を留めようとは思わない。

それにしてもこの広報板のまじめなたたずまいには
なぜか頭が下がる。

失われた町2



道端のお墓。
以前はその周りが田畑だったのだろう。
労働の場と生死とはつながっていた。

記憶とは場所の痕跡でもある
農村が消えると、その周りの記憶が失われる。
集落が消えて田畑もなくなったが
墓は取り残され、その奥には
プレファブの物置が置かれている。
それさえも見捨てられ、ゴミのように朽ちている。
その隣の家もまた捨てられて廃屋となり
こうしていくつもの墓標が寄り集まっている。
しばらくしてここを通りかかると
住宅メーカーのプレファブが建っていた。

失われた町1



どこでも見られるような
空虚に蝕まれた地方都市の片隅。
誰もいなくなった町に残る
見捨てられた古いショーウインドウの中から
今でもなまめかしい人形たちが
通り過ぎる者を誘惑している。

女性たちの残り香というより、
もっと危険なものかもしれない。

2008/07/11

マルコポーロの夢



その町にはあらゆる都市の建築様式が集められている。

手に入れ難い貴石でできた床には
南洋の貝を集めた迷路の象嵌
堅く目の詰んだ木材でしっかり組んだ鐘楼
赤がねの屋根の上に鳳凰を戴いた家々。
それぞれが贅を尽くして高さを競っている。

こうして立ち並ぶ家々が
この都市を流れるメコン川にそって
途切れることの無い城壁を形成している。
その眺めは、侵入者に対して威嚇するどころか
醒めない夢のような都市の幻影として
彼の夢に入り込み、ついには
そのイメージは逃れがたいものとなる。

あるいはまた
この城壁のはその内部に
途方もないカオス、混乱と喧騒を
抱えている。
けたたましい物売りの叫び声
行く先不明の無数の通行人
腐った食べ物のにおい
自分より大きな花束を抱えて歩く花売り
おびただしい数の壊れた乗り物と
そのエンジンの吐き出す排気
夜暗がりの中で息を吹き返す蝙蝠の群
あらゆる水溜りに潜む色鮮やかな爬虫類
太陽が沈んだ後も 煮えた様に熱い大気
そして明け方の一瞬だけに訪れる青い朝

この城壁は
そうした1日を終えて家へと帰る人々が
真っ黒な瞳で見るための
夢の形象であり
この蜜実な都市がメコンデルタへと
流失することの無いように
堰き止めるための堤防である。

2008/07/10

総取替え



梅雨の割には雨が降らない。
けれども
湿った光を吸い込んでいる庭に出て
しばらく身体を水分にさらしているだけで、
体中の水が入れ替わったような気分になる。
 

2008/07/09

ブリコラージュ

    
慶州という町では、キリスト教会といえども
その建築は情報化国家のプロパガンダのようだ。
おざなりに並んだゴシック風の窓よりも
入口をまたぐように立っている塔が
よっぽど本気である。
門をくぐる信者を迎えるのは
ラジオ局の送信塔のようなタワーにかかる
ロシアアバンギャルド風のスローガンであり
十字架はどうでも良いかのように
横を向いている。
実は、凋落した建築の形式にしたがって
教会内の空間の軸線に沿っているだけなのだが。
  
人々は情報を礼拝する。
建築はそれをブリコラージュで顕わす。
   

2008/07/05

架空のもの



アルファベット26文字と記号2種類。
どれも建物の隙間に架かっている空でできている。
画像をクリックしてご覧ください。
このような形の空を見ることは
とても日本の町並では無理だ。
 
西洋の古い町を見ると、建物は量塊であり
道路や広場は空間である、とその役割が明確に分かれている。
両者をつなげる媒介的な仕掛けが
アーケードやポルティコ。
そこでも建物と外部は水と油のように混ざり合うだけで
滲んだりはしない。
そういう町が、そこに生きる人間の精神にも
そんな形を与えたんだろう。
 

無数のもの



何枚あるのだろうか。
鈴木明さんはいろんな材料でドームを作るワークショップを
おこなっているが、これは
新聞紙をレンガのように重ねてつくったドーム。